今回は俳優、故リヴァー・フェニックスについて
リヴァー・フェニックスといえば、スタンドバイミーでクリスを演じた天才子役だったことで有名ですね。
しかし、不運にも23歳という若さで薬物により死亡した。
長生きしたくないと言い放っていた彼の言葉が現実となってしまったようだ。
紳士的な対応で日本のバラエティー番組「笑っていいとも」に出演した過去も!
映画ファンの中で永遠に生き続ける天才俳優リヴァー・フェニックスについてご紹介します
リヴァー・フェニックスはスタンドバイミーの名子役
スタンドバイミーでは、4人の少年の幼いころのストーリーが映画となっているのだが、彼は、家系が不良や犯罪者というレッテルに苦しみながら生きていくクリスの役を演じていました。
当の本人はまじめで、親友のゴーディをだれよりも信用し、将来に悩む彼の背中を押すなど、とても正義感の強い少年でした。
クリス役に大抜擢されたリヴァーだったが、もともとはゴーディの役でオーディションに受けていたそう。
クリスの役になったのは、監督のロブ・ライナーの直感だった。
「リヴァーは、クリスそのものだった。クリスと同じように、幼いながらに家族を支えようとする責任感を背負い、自分の年齢以上の人生をすでに生きてしまっているような深い哀愁があったんだ」
映画では、シーンとしては残ってはいないが、勉強を続け、晴れて弁護士となったが、レストランで喧嘩するカップルの仲裁に入り、刺殺されるという悲しい最期を迎えました。
演じたリヴァー本人も、若くしてこの世を去ってしまったことから、状況が重なることもあります。
どちらにしても、悲しい現実です…
リヴァー・フェニックスが笑っていいともに出演!
1989年の秋頃(映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』の公開前後)に、映画の宣伝で来日していた時に、笑っていいともに出演していました!
大スターの来日と会って、観客は大歓声で彼を迎えました。
タモリさんとのトークでは、通訳を介して、スマートな受け答えをする姿は、まだ若いのにさすがなものだった
毎度おなじみ、タモリさんにプレゼントをするコーナーがありますが、そこで彼はインディ・ジョーンズにちなんだ映画のグッズ(帽子やジャケットなど)をプレゼントするなど、和やかに収録は進みました。
いいなあ!
いま考えると、大スター相手に、昼間の生番組でトークをするという番組の内容は、やっぱりすごかったんだなあと思いました。
日本を代表する長寿番組である笑っていいともで、対談相手がタモリさんじゃなかったら、このオファーは受けなかったかもしれないですよね
今後笑っていいともを超える番組は出てくるのでしょうか?
しかし奇跡的なワンシーンでした
リヴァー・フェニックスの生い立ちは
リヴァー・フェニックス(River Phoenix)は、1980年代後半から90年代初頭にかけて、圧倒的な美貌と天才的な演技力で世界中を魅了したアメリカの伝説的な俳優です。
リヴァーは1970年8月23日、オレゴン州のログハウスで生まれました。
名前のリヴァーはヘルマン・ヘッセの小説『シッダールタ』に登場する「生命の川」から、ミドルネームはビートルズの「ヘイジュード」からとったとのことです。
リヴァーが幼い頃、一家は「チルドレン・オブ・ゴッド(現:ファミリー・インターナショナル)」という新興宗教(カルト)の信者となり、貧しい生活をしていました。
生活費を稼ぐために、路上でギターを弾いて歌を歌っており、音楽の才能を発揮していた。
(のちに「Aleka’s Attic(アレカズ・アティック)」というバンドを組んで自ら曲を書き、ギターを弾いて歌っていました。)
貧困が続く中、一家は過去を断ち切るため、性を不死鳥を意味するフェニックスへと改名する。
そしてリヴァーをはじめとするフェニックス家の子供たち(レイン、ホアキン、リバティ、サマー)は、すぐにCMやテレビドラマのオーディションを受け始めます。
才能を認められ、10歳でテレビドラマなどの出演を経て、15歳の時に映画『エクスプロラーズ』(1985年)で見事スクリーンデビュー!
そしてその翌年、同じく15歳の時に、彼の運命を大きく変える『スタンド・バイ・ミー』(1986年)の出演を決める。
そしてスタンドバイミーが公開されてわずか2年ほどで演じた映画で数々の賞を獲得。
『旅立ちの時』(1988年) 若干18歳でアカデミー助演男優賞にノミネートされるなど、輝かしい未来が約束されていたともいえるだろう。
『マイ・プライベート・アイダホ』(1991年)ヴェネツィア国際映画祭の最優秀男優賞を受賞。ストリートで生きる孤独な青年を演じきり、実力派としての地位を不動のものにしました。
そしてもうひとつ、彼はヴィーガンであることでも有名でしたが、もともと生まれ持ってのヴィーガンではなく、人間が食べるために、動物たちが無残に殴られ殺されるところを目撃してしまい、二度と肉や魚は食べたくない。といったところから始まったとされています。
それ以来はフェニックス家全員が完全菜食主義(ヴィーガン)になったという有名なエピソードがあります。
彼の優しい性格が、家族を変えたんですね。
それなのにどうして彼が…と、いうのは本人にしかわからないですね
リヴァー・フェニックスの死因は薬物によるもの、死顔がパパラッチされる
1993年10月31日、弟のホアキンたちと訪れていたジョニーデップが経営するナイトクラブの入り口付近で、ヘロインとコカインの過剰摂取により倒れ、病院に運ばれるも、再び息を吹き返すことはなかった。
23歳という若さだった。
彼は俳優としても絶頂期で、ルックスもよく、演技派天才的だと言われていただけに、多くのファンや、映画関係者、もちろん親族もショックは大きかったことでしょう
私は彼の演技が大好きでしたし、だれからも愛される愛嬌のあるキャラクターで、家族からも、映画ファンからも愛される存在でした。
それだけに彼は、四六時中パパラッチに振り回される人生を送っていた。
そんな彼の最期の言葉は『パパラッチしないで』だったそう。
だがしかし、パパラッチは家族のみ参列できる葬式に潜り込み、彼の死顔を撮影し、その写真を売りさばいたそうです…。
彼の家族はどんなに悲しんだことか。
彼が今も生きていたら、どんな映画に出演していただろう。


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